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     五代十国 宋の詩人

五代十国 宋


         五代十国 宋









五代十国 宋


五代十国 907年〜979年

唐の滅亡から宋の成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。
五代十國

五 代


国名
都
始祖
存続年
後梁
朱全忠 907年 - 923年
後唐
李存勗 923年 - 936年
後晋
石敬? 936年 - 946年
後漢
劉知遠 947年 - 950年
後周
郭威 951年 - 960年
十 国


国名
都
始祖
存続年
前蜀 成都 王建 907年 - 925年
後蜀
孟知祥 934年 - 965年
呉 揚州 楊行密 902年 - 937年
南唐
李? 937年 - 975年
荊南
高季興 907年 - 963年
呉越 銭塘 銭鏐 907年 - 978年
ビン (門+虫) 福州 王審知 909年 - 945年
楚 潭州 馬殷 907年 - 951年
南漢 番禺 劉隠 909年 - 971年
北漢
劉崇 951年 - 979年





十国

ID
詩人名
よみかな
生歿年
備考

貫休       かんきゅう
832―912

羅隱       らいん
833〜909

馮延巳     (ふうえんし)
903―960

馮道       (ふうどう)
882〜954

南唐中主・李�m      (りけい)
916〜961

南唐後主・李�U      (りいく)
937〜978






ID
詩人名
よみかな
生歿年
備考

貫休       かんきゅう
832―912

羅隱       らいん
833〜909

馮延巳     (ふうえんし)
903―960

馮道       (ふうどう)
882〜954

南唐中主・李�m      (りけい)
916〜961

南唐後主・李�U      (りいく)
937〜978








 
581 貫休     かんきゅう 832―912
政治家・詞人。字は幼安、号は稼軒(かけん)、歴城(現在の山東省済南市)の人。
 歴城(山東)出身。字は幼安、号は稼軒。華北に住し、采石磯の役での金軍の動揺に乗じて挙兵すると初めは耿京に従い、耿京が張安国に殺されると安国を捕えて宋に帰順し、承務郎とされた。孝宗期には各州知事を、後に湖北・江西・湖南の安撫使を歴任し、任地の治安民政を安定させた。主戦論者だったために和平派の弾劾で罷免され、まもなく浙東安撫使・鎮江知府に任命されたが、勅使到着前に歿した。朱熹とも親交があり、朱熹の歿した際には偽学の禁を冒して追悼・埋葬した。政治家としては大成しなかった辛棄疾であるが、文人としては名声を博し、金に対抗し宋による故地回復を願った文章を数多く残している。また様々な題材での詞・漢詩も残しており『稼軒集』などが現在に伝わっている。北宋の蘇軾と並び「蘇辛」と称されることもある。検索エンジン「百度」の社名は、彼の作品『青玉案』に由来。


春晩書山家屋壁
582 羅隱       らいん 833〜909
五代の詩人。字は昭諫。本名は横。江東生と自号する。呉越、新城の人。晩年、呉越王銭鏐に仕えて、銭塘県令などを任じた。後梁の朱全忠に諫議大夫として召されるが行かず。『舊唐書・列傳・羅弘信・子威』「錢塘人羅隱者,有當世詩名,自號江東生。」或いは「江東人羅隱者,佐錢鏐軍幕」(『舊五代史・梁書』)ともする。


自遣(得即高歌
失即休)   江
南行(江煙涅雨
蛟?軟)   蜂
(不論平地與山
尖)   
583 馮延巳       (ふうえんし) 903―960
中国、五代の南唐の詞人。一名延嗣。字(あざな)は正中。広陵(江蘇(こうそ)省揚州)の人。初め南唐の中主李(りえい)に書記として仕え、のちに宰相に至った。政治家としてはあまり高く評価されず、もっぱら詞人として知られる。その詞は多く士大夫(したいふ)の閑情や男女の離情を歌い、作風は閑雅、艶麗(えんれい)を極める。唐・五代の詞人中、北宋(ほくそう)の詞壇にもっとも大きな影響を与えた。詞集には、宋代に入って外孫の陳世修の編んだ『陽春集』があるが、これには晩唐・五代・北宋前期の詞人の作品が数多く混入している。


謁金門
584 馮道     (ふうどう) 882〜954
 瀛州景城(河北)の出身。字は可道、号は長楽。劉守光・李存勗に仕えて荘宗に翰林学士とされ、明宗のときに中書侍郎・平章事とされた。以後、後晋を滅ぼした契丹を含む五朝八姓十一君に仕え、『資治通鑑』『新五代史』など朱子学が主潮となった後世からは破廉恥な無節操漢と排撃されたが、常に人民の安定に尽くし、時人からは寛厚の長者と讃えられ、李卓吾も「孟氏曰く、社稷を重しとなし君を軽しとなす。まことに至言なり。馮道、之を知れり」と絶賛した。


天道
585 南唐中主・李�m      (りけい) 916〜961
  もとの名を景通。字は伯玉。南唐の二代中主元宗。在位945〜961。南唐の烈祖(李?)の長男。昇元三年(939)、烈祖が呉から独立すると、斉王に封ぜられた。保大元年(943)、烈祖の死後に即位。保大四年(946)に?を滅ぼして福建を併せ、九年(951)には楚を滅ぼして湖南を併せた。しかし後周に圧迫されて、江北十四州を失陥した。このため帝号を去り、国主と称して、領土の保全を図った。文学を愛し、多くの詞を残した。南唐二主のひとり。


浣溪沙
586 南唐後主・李�U      (りいく) 937〜978
  もとの名を従嘉。字は重光。南唐の三代後主。在位961〜975。南唐の元宗(李�m)の六男。はじめ安定郡公に封ぜられ、のちに鄭王に封ぜられた。建隆二年(961)、中主の死後、金陵で即位した。詞や音曲を愛し、国費を遊興にかたむけた。唐の国号を去り、宋に入貢して臣従の姿勢をしめしたが、開宝八年(975)に曹彬率いる宋の南征軍によって滅ぼされた。開封に連行され、違命侯に封ぜられた。太宗の時代になって隴西公となったが、まもなく死去した。毒殺説も根強い。南唐二主のひとり。

李 �U(り いく)は、十国南唐(江南)の第3代(最後)の国主。後主とよばれる。君主としての政治的能力はほとんどなく、それよりも文学的・芸術的な才能のほうがはるかに優れていた。特に韻文の一種で、勃興しつつあったジャンルである詞の大成者として知られる。父の元宗李�mも芸術方面で評価されているため南唐二主と並称されている。

生涯
初名は李従嘉(り じゅうか)。昇元元年(937年)、第2代皇帝となる李�mの六男として誕生した。母は鍾皇后、兄に李弘冀ら5人、弟に李従善ら5人、子に李仲寓・李仲宣らがいる。特筆すべき身体的特徴として、瞳が二重(重瞳)だったというものがある。幼い頃から早くも詩文や書画に才能を見せていた。もとは鄭王だったが、顕徳6年(959年)に太子だった弘冀が没し、その他の兄も皆早世していたため、後継者と目されて呉王に封ぜられた。建隆2年(961年)、洪州(現在の江西省南昌市)に遷都すると、李従嘉は太子に立てられて、元の都である金陵で監国として国事代行を担うことになった。6月、元宗が崩ずると金陵で即位し、李�Uと改名した。内政では貨幣に鉄銭を導入して経済を混乱させ、重用する韓熙載などの臣下に任せきりであった。国力が衰えてきたとはいえ江南の豊かな経済力を背景に、自身の詞や数々の逸話で知られるような文芸活動と絢爛豪華な宮廷生活を続けていった。

開宝4年(971年)、宋に配慮して国号を唐に代わって江南とした。開宝7年(974年)、宋は李�Uの来朝を要請したがこれを拒否したため、口実を与えて侵攻を許すこととなった。そして開宝8年(975年)12月、金陵が陥落し、北方に連行されることになった。開宝9年(976年)1月、開封に到着し、以後軟禁生活を余儀なくされた。違命侯(のちに隴西公)に封じられた。

その最期は『黙記』によると、故郷を想う詞をつくったことを太宗に知られ、牽機薬という何度も体を折り曲げて苦しみながら死に至る猛毒を盛られて暗殺されたという。死後、呉王を追贈された。

文芸
政務に熱心ではなかった李�Uであるが、文芸の才は詞をはじめとして、書や絵画などの分野にも心血を注ぎ、当時散逸していた唐の玄宗が編曲した「霓裳羽衣の曲」の復元にも注力した。書法は「金錯刀」と呼ばれるもので、味のある微妙な震えの表現が特徴である。

詞は李�Uが亡国を経験する前後で作風が異なる。宮中で生活していた頃の作品は、花鳥風月や男女間の機微を詠ったりと華美なものがほとんどであった。しかし幽閉生活という境遇は李�Uの心情に大きな変化をもたらし、そこから生まれた哀切な表現は後悔や望郷の念といった悲壮さを帯びており、芸術的に一層の高まりをみせた。ちなみにテレサ・テンは、アルバム『淡淡幽情』の中でそのうち3詞に現代風の曲をつけたものを歌っている。

『中国詩人選集16 李�U』(村上哲見訳注、跋文吉川幸次郎、岩波書店)で紹介されている。

李�Uは自ら用いる文房具(文房四宝)の発展に寄与した。玉で作られた筆、龍尾硯(歙州硯)という硯、名職人李廷珪による墨、そして宮中の李�Uが上奏文の閲覧や書斎としていた建物の名をとって澄心堂紙と呼ばれた紙が有名である。これらは専門の部局を設置して製造に当たらせるほどの熱の入れようであった。
虞美人



北宋(ほくそう、960年 -1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封。
















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